Yutaka Ozaki Histry

Yutaka Ozaki Histry

1965.11.29 東京都世田谷区、自衛隊中央病院に誕生。父は陸上自衛官、兄弟は5歳年上の兄。
1972.4 練馬区立田柄第二小学校に入学。
1976. 朝霞市立第二小学校に転校。
1978.4 練馬区立東中学校に入学。
1981.4 青山学院高等部に入学。
1981.11 最初のオリジナル曲「町の風景」というタイトルをつける。
1981.12 新宿ルイードで「NOA」というアコースティックバンドとして初ステージ。
1982.10 CBSソニーオーディションに合格。
1983.12.1 1ST SINGLE「15の夜」 1ST ALBUM「十七歳の地図」発売
1984.2.12 千葉のマザースでアマチュアバンドの前座として6曲を歌う。
1984.3 青山学院高等部中退。
1984.3.15 新宿ルイードでデビューライブ。同日、青山学院高等部卒業式。
1984.3.21 SINGLE「十七歳の地図」発売
1984.5.8 新宿ルイード
1984.5.9 新宿ルイード
1984.5.10 KBSラジオ「ハイヤングKYOTO」リスナーが主催するライブ。
1984.6.15 札幌ペニーレイン、6大都市ツアーが始まる。
1984.6.17 仙台モーニングムーン
1984.6.23 名古屋ハートランド
1984.6.25 大阪バナナホール
1984.6.26 広島ウッディ・ストリート
1984.7.1 日比谷野外音楽堂で白井貴子の前座として出演。
1984.8.4 日比谷野外音楽堂「アトミック・カフェ」に出演中、7mの高さの照明用イントレから飛び降り、左足を骨折。ステージにはいつくばって最後まで歌いきるが、この日以降のスケジュールはすべてキャンセルとなる。
1984.8.25 SINGLE「はじまりさえ歌えない」発売
1984.12.3 秋田市文化会館、全国21都市を回る全国ツアーがスタート。
(~1985.2.7 札幌教育文化会館)
1985.1.21 12INCH SINGLE「卒業」発売<オリコンチャート初登場20位>
1985.3.21 2ND ALBUM「回帰線」発売 <オリコンチャート初登場1位>
1985.5.6 立川市民会館”Tropic of Graduation”ツアーがスタート。
(~8.25 大阪球場 26.000人を動員)
1985.7.5 単行本「未成年のまんまで」(落合昇平/著)CBSソニー出版より発売
1985.10.21 12INCH SINGLE「DRIVING ALL NIGHT」発売
1985.10.25 小説「誰かのクラクション」(尾崎豊/著)角川書店より発売
1985.11.1 四日市市文化会館”LAST TEENAGE APPEARANCE”ツアーがスタート。
1985.11.14-15 代々木オリンピックプール.2日間で30.000人を動員
(~1986.1.1 福岡国際センター。この日以後活動を無期限休止)
1985.11.28 3RD ALBUM「壊れた扉から」発売
1986.1.14 フジテレビ系列にて85年代々木オリンピックプールでのライブを収録した「早すぎる伝説」放送。
1986.3.25 「早すぎる伝説」再放送。
1986.5 単身渡米。
1986.7 フィルムコンサート「もっともっと速く!」を全国100ケ所にて行う。200.000人動員。
1986.7.21 VIDEO「6PIECES OF STORY」発売
1986.8.21 単行本「失した1/2」発売
1987.1 帰国。
1987.2.10 レコード会社「MOTHER&CHILDREN」に移籍。レコーディング開始。
1987.7 茨城県民文化センター”TREES LINING A STREET”ツアー開始。
1987.8.5 広島平和コンサート、渡辺美里のステージに飛び入り。
1987.8.6 当初予定になかったステージに出演。
1987.8.22 熊本BEAT CHILD、どしゃ降りの中で歌う。
1987.8.29 有明コロシアム、2日間で20.000人を動員。
1987.9.24 豊橋勤労会館、この日を最後に本人急病のためツアー中断。
1987.10.1 12INCH SINGLE「核(CORE)」発売
1987.10.21 LIVE ALBUM「LAST TEENAGE APPEARNCE」発売
1987.12.22 覚醒剤取締法違反で逮捕。
1988.2.22 東京拘置所から釈放。
1988.5.12 結婚。
1988.6.21 12INCH SINGLE「太陽の破片」発売
1988.6.22 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」に出演。
1988.9.1 ALBUM「街路樹」発売
1988.9.12 東京ドーム”LIVE CORE”復活ライブ。
1988.12.1 写真集「WORKS」発売
1989.7.24 長男誕生。
1989.2.21 LIVE VIDEO「LIVE CORE」発売
1989.3.21 SINGLE「卒業/15の夜」発売
1990. 事務所「ROAD&SKY」に移籍。
1990.4 月刊カドカワで小説「黄昏ゆく街で」連載開始。
1990.10.21 レコード会社「CBSソニー」に再移籍。
1990.10.21 SINGLE「LOVE WAY」発売
1990.11.15 ALBUM「誕生」発売
1990.12.1 SINGLE「黄昏ゆく街で」発売
1990.12.19 事務所を独立し、自らISOTOPE(アイソトープ)設立。
1991.1.21 SINGLE「永遠の胸」発売
1991.2.28 小説「普通の愛」角川書店より発売
1991.3.21 SINGLE「I LOVE YOU」発売
1991.3 ファンクラブ「EDGE OF STREET」発足。
1991.5.20 横浜アリーナ”BIRTH “ツアー開始。
(~1991.10.30 代々木競技場第一体育館)
1991.12.29 母、急逝。
1992.2.29 写真集「白紙の散乱」角川書店より発売
1992.3.30 LIVE VIDEO「TOUR 1991 BIRTH」発売
1992.4 アルバム「放熱への証」レコーディング終了。
1992.4.25 午後12:06 肺水腫のため死亡。

尾崎 豊  最後の写真  1992.04.25  12:06永眠
1992年(平成4年)4月25日(土)早朝、東京都足立区
千住河原町45-9の小峰忠雄さん宅(尾崎ハウス)の
庭にて全裸の泥酔状態で発見され、家主が不審者と
思い警察に通報。近くの交番より警官が出動し白髭橋
病院にて診察を受けたが、間もなく夫人が自宅マショ
ンへ車で連れて帰った。その後、彼の兄、当時のマネ
ージャーが見守る中、自宅マンションで暴れたり眠った
りを繰りかえしながら、突如危篤状態となり救急車で
日本医科大学付属病院の緊急病棟に収容された。
蘇生措置の甲斐もなく午後0時6分他界した。26歳の
若さでのあまりにも早すぎる死であった。
1992.4.30 文京区護国寺にて追悼式。40.000人以上のファンが雨の中で彼の死を悼む。
1992.5.10 SINGLE「汚れた絆」 ALBUM「放熱への証」発売 <即日完売>
1992.6.10 “TOUR ’92 放熱への証”中止。
1992.6.20 小説「黄昏ゆく街で」(未完)角川書店より発売

 

1984
全国21都市を回る全国ツアー

 

12.3 秋田市文化会館
12.4 新庄市民文化会館
12.5 仙台市民会館
12.10 島根県民会館
12.11 岡山市民文化ホール
12.13 山口市民会館
12.15 福岡都久志会館
12.20 広島県真護堂
12.21 大阪厚生年金会館
12.25 石川県教育会館
12.27 新潟市公会堂
1985
1.7 高松オリーブホール
1.8 松山市民会館
1.10 高知県民会館グリーンホール
1.12 日本青年館
1.18 浜松福祉文化会館
1.22 宇都宮文化会館
1.23 群馬県民会館
1.28 京都会館
2.5 名古屋芸創センター
2.7 札幌教育文化会館
1985
“Tropic of Graduation”ツアー

 

5.6 立川市民会館
5.7 千葉市民会館
5.8 神奈川県青少年センター
5.12 大宮市民会館
5.14 水戸市民会館
5.15 桐生産業文化会館
5.19 沖縄県労働福祉会館
5.28 静岡市民文化会館
6.4 富山県民会館
6.5 福井文化会館
6.7 新潟県民会館
6.10 島根県民会館
6.11 岡山市民会館
6.18 広島郵便貯金会館
6.20 神戸文化会館
6.21 和歌山市民会館
6.22 京都勤労会館
6.24 松山市民会館
6.25 高知県民会館
6.27 福井市民会館
6.28 山口市民会館
7.5 名古屋勤労会館
7.8 旭川市民会館
7.9 札幌道新ホール
7.14 鹿児島市民会館
7.16 熊本県立演劇会館演劇ホール
7.17 長崎市民会館
7.18 福岡郵便貯金会館
7.29 金沢観光会館
7.30 長野県民文化ホール
8.12 福島公会堂
8.13 岩手教育会館
8.15 秋田市文化会館
8.16 青森市文化ホール
8.17 弘前市民会館
8.20 仙台電力ホール
8.22 前橋市民文化ホール
8.23 栃木会館
8.25 大阪球場(26.000人を動員)

 

1985
“LAST TEENAGE APPEARANCE”ツアー

 

11.1 四日市市文化会館
11.4 山梨県民文化ホール
11.5 浜松市民会館
11.7 豊橋勤労福祉会館
11.8 岐阜市民文化会館
11.14 代々木オリンピックプール
11.15 代々木オリンピックプール
(2日間で30.000人を動員)
11.18 三次市文化会館
11.19 徳山市民文化会館
11.21 鳥取市民会館
11.22 豊岡市民会館
11.26 帯広市民会館
11.27 釧路市民文化会館
11.29 室蘭文化センター
12.9 大分文化会館
12.11 久留米市民会館
12.12 小倉市民会館
12.15 平市民会館
12.17 山形県民会館
12.18 新庄市民会館
12.19 郡山文化センター
12.24 松本社会文化会館
12.26 新潟県民会館
12.27 長岡市立劇場
1986
1.1 福岡国際センター
(この日以後活動を無期限休止)

 

1987
“TREES LINING A STREET”ツアー

 

7.1 茨城県民文化センター
7.2 宇都宮市文化会館
7.4 群馬県民会館
7.8 横須賀市文化会館
7.15 静岡市民文化会館
7.16 沼津市文化センター
7.20 島根県民会館
7.21 広島郵便貯金会館
7.23 倉敷市民会館
7.24 徳山市民会館
7.26 松山市民会館
8.3 大阪球場
8.5 広島平和コンサート
(渡辺美里のステージに飛び入り)
8.6 当初予定になかったステージに出演
8.14 伊勢崎市民文化会館
8.17 浜松市民会館
8.19 日立市民会館
8.22 熊本BEATCHILD
8.23 熊本BEATCHILD
8.29 有明コロシアム
8.30 有明コロシアム
(2日間で20.000人を動員)
9.6 那覇市民会館
9.10 神戸国際会館
9.11 和歌山県民文化会館
9.13 守山市民ホール
9.15 舞鶴市総合文化会館
9.16 豊岡勤労会館
9.21 岐阜市民会館
9.22 四日市市文化会館
9.24 豊橋勤労会館
(この日を最後に本人急病の為ツアー中断)

 

1988.9.12 東京ドーム”LIVE CORE”復活ライブ。

1991
“BIRTH”ツアー

(~1991.10.30 代々木競技場第一体育館)

5.20 横浜アリーナ
5.21 横浜アリーナ
5.22 横浜アリーナ
6.1 大阪厚生年金会館
6.2 大阪厚生年金会館
6.3 大阪厚生年金会館
6.8 佐賀市文化会館
6.10 宮崎市民会館
6.11 鹿児島市民文化ホール第一ホール
6.13 大分文化会館
6.14 九州厚生年金会館
6.22 香川県県民ホール
6.23 愛媛県県民文化会館メインホール
6.25 倉敷市民会館
6.26 徳山市文化会館
6.29 名古屋国際会議場センチュリーホール
6.30 名古屋国際会議場センチュリーホール
7.2 静岡市民文化会館
7.3 静岡市民文化会館
7.12 長崎市公会堂
7.13 熊本市民会館
7.15 福岡サンパレス
7.16 福岡サンパレス
7.17 福岡サンパレス
7.23 青森市文化会館
7.24 秋田県民会館
8.4 群馬県民会館
8.6 宇都宮市文化会館
8.11 京都会館第一ホール
8.12 京都会館第一ホール
8.14 岡山市民会館
8.15 メルパルクホール広島
8.16 メルパルクホール広島
8.19 島根県民会館
8.22 北海道厚生年金会館
8.23 北海道厚生年金会館
8.27 郡山市民文化センター
8.29 岩手県民会館
8.30 宮城県民会館
8.31 宮城県民会館
9.2 山形県民会館
9.5 神戸文化ホール
9.6 神戸文化ホール
9.20 茨城県立県民文化センター
9.24 新潟県民会館
9.25 新潟県民会館
9.27 石川厚生年金会館
9.28 長野市民会館
10.2 大阪城ホール
10.3 大阪城ホール
10.13 名古屋レインボーホール
10.14 名古屋レインボーホール
10.24 代々木競技場第一体育館
10.25 代々木競技場第一体育館
10.29 代々木競技場第一体育館
10.30 代々木競技場第一体育館