反権力との出会い
1967年10月8日(日)佐藤首相のベトナム訪問実力阻止の為、全国30数大学から反日共系学生2,500人(警視庁調べ)が集合。羽田空港出入り口付近の海老取川にかかる三つの橋で機動隊と衝突。弁天橋上で、京大生山崎博昭氏(18歳)が虐殺される。正午すぎ、山崎博昭氏虐殺の報にほとんどの部隊が稲荷橋に結集して抗議集会。北小路敏・元全学連委員長ら58人が検挙される。機動隊は六十年安保闘争以来のガス弾を使用した。
当時中学3年生だった私は、上記事件を姉が母に話しているのを聞いた。国家権力による虐殺。ベトナム戦争とは何か、国家・権力・警察・機動隊・自衛隊・日米帝国主義・右翼・日共民青・スターリン主義とは何か。1960年小学校2年生の時、テレビのニューズで放映されていたデモ「安保反対」の「安保」って何?と母に聞いた事を思い出した。
1968年高校1年生の時、初めてベトナム反戦デモに参加した。周りには赤ヘルの社学同が多くいた。三派系全学連秋山勝行委員長著『全学連は何を考えるか』(自由国民社)他、マルクス主義・トロツキズム・アナキズムに関する古典・書籍を読み始めた。
1969年高校2年生の時、高校全共闘運動に参加した。同校には反戦高協(中核派系)・高校生インター(第4インター系)・高校生解放戦線(社学同ML派系)のセクトが存在した。自分はノンセクト・ラディカル(NON SECT RADICAL)として、ベ平連や三派系やアナキストや大学の全共闘とも行動した。この年、返還前の沖縄に行った。